国際政治を専門とする中で、修士論文のテーマに選んだのが沖縄の基地問題でした。特に普天間飛行場と那覇軍港を取り上げ、
返還に至らない理由を探る事をテーマに。
那覇軍港に気づく助言を頂いたのは、大阪大学のロバート・エルドリッヂ先生。
那覇軍港は、30年以上前に返還が決まったのに、ずっと止まったまま。
改めてこれに気づかされ、僕の命題のひとつとなりました。
当時は同級生にも恵まれ、60歳前後の大先輩が同級生としておりました。
多くの助言も頂き、中でも、必要だと思った本は必ず買っておいたほうがいい。
これは未だに僕の家計を苦しめる最大の原因ですが、
今の僕の基礎を作ることにもなってくれた、感謝すべき言葉です。
そして大学院時代に沖縄研究を始めた事が、その後の人生を決めていくことに。
ちなみに、これ以外でも大学院時代にとても大きく影響を受けた事が2点。
ひとつは大学院の2回生のとき、おばさんにお願いして居候をさせてもらったこと。
ご迷惑ばかりをかける一年でしたが、
日常から多くの勉強が出来た、とても貴重な一年でした。
それと、大学院に入って最初の飲み会。
これまで飲み会といえば体育会の無茶な飲み会しか経験していなかった僕。
大学院の飲み会に行ってみると、飲みながら政治や歴史の話が繰り広げられる居酒屋。あの緊張感と衝撃も、忘れることは無いと思います。
大学院時代から、沖縄にあるシンクタンク、「OPAC」 でインターンをしていました。「OPAC」 は「沖縄平和協力センター」の略称。NPO法人という形態ながら、日本では貴重な国際政治や国際協力を扱うシンクタンクとして出来たところでした。
そして気づけば、卒業して間もなくの2005年5月、
その「OPAC」の事務局長となっていました。
NPO法人というと、日本ではボランティア団体の延長というイメージが強いですが、
本当は普通の企業とやることは変わりません。「OPAC」も同様に、JICAや県などから仕事を受託し、その経費で運営する。よくイメージされる補助金などは当然ながら無く、寄付金や会費にしてもほとんど無い中での運営です。
働く中で、研究者として沖縄問題の研究を、それは基地問題に始まり、雇用状況や土地の利用、沖縄の歴史など多岐に渡りますが、進める事ができた貴重な経験を得たのと同時に、団体の運営という、人を雇い、収支を考えるなどの作業を積み重ねる事ができたのも重要な経験でした。
今の清水マオにつながる積み重ねの日々となっています。
